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プレゼント 書評こぼれ話

  作家、劇作家であった井上ひさしさんの
  座右の銘はこうであったそうです。

    難しいことをやさしく、
   やさしいことを深く、
   深いことを愉快に、
   愉快なことをまじめに


  まるで井上作品を集約したような言葉です。
  ここ何日間か井上ひさしさんの作品を
  集中的に読んできました。
  今日は直木賞を受賞した『手鎖心中』ですが、
  井上ひさし文学の原点のようなものを
  感じます。
  笑いは生きていくうえにおいて
  大事な要素だと思います。
  そのことを井上ひさしさんは徹底的に
  書いてきたのだと思います。
  亡くなったことを契機にすることは
  不謹慎かもしれませんが、
  この機会にあらためて
  井上ひさしさんの文学に
  ふれてみるのもいいのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

手鎖心中 (文春文庫)手鎖心中 (文春文庫)
(2009/05/08)
井上 ひさし

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sai.wingpen  ここから始まる                     矢印 bk1書評ページへ

 井上ひさしさんは、この『手鎖心中』で第67回直木賞(1972年)を受賞した。38歳の時である。
 すでにテレビの脚本や戯曲で売れっ子であった井上さんだが、江戸の戯作者の姿をコミカルに、しかもシニカルに描いたこの作品は、井上さん自身の将来へのの決意表明のような作品とも読める。

 主人公は材木問屋の若旦那栄次郎。彼は「人を笑わせたり、人に笑われたりする」のが何よりも好きで、それが高じて絵草紙作家になりたいと願っている。そのために自ら勘当は願い出たり、お上のお咎めの手鎖の刑を受けるように仕向けたりと、まことに馬鹿馬鹿しいかぎりである。最後には吉原の遊女との心中まで図ってしまう。
 そんな物語のなかに井上さんは「笑い」の本質を見とどけようとしている。

 たとえば、栄次郎の仲間が「戯作」について、「心が、正と負、本気と茶気、しかめっ面と笑い顔の間を往来する-、そこから、いや、そこからだけ、戯作の味わいみたいなものが湧いてくるんじゃないか」と語っている。
 ただのくすぐりではなく、二物がぶつかって初めて人の心がほぐれる「笑い」が生まれる。これは、おそらく井上さんの「笑い」に対する考え方だろう。
 そして、それは終生変わらなかったのではないだろうか。
 ただ、この作品がそんな「笑い」への問いかけであったとして、戯曲であれ小説で作品を描くつづけるうちに、もっと深い「笑い」に深化していった。
 戦争であれ原爆であれ平和であれ、深刻なテーマを描きつつ、「笑い」はそれらを真面目に考えるための武器となっていった。

 この物語の終盤で、井上さんはこんな風に書いている。
 「世人の慰みものに命を張ってみよう。(中略)茶気が本気に勝てる道をさがしてやる」。
 これこそ、井上さんの作家としての決意であったにちがいない。井上さんはそのことをずっと追いかけてきた。
 小説にしろ戯曲にしろ、何を難しく語ることがあろう。所詮は「世人の慰みもの」ではないか。しかし、たとえそうであったとしても、いやだからこそ、世人がわかる言葉でほんとうのことを語りたい。
 井上ひさしさんの文学はそうであったのだと思う。
  
(2010/04/15 投稿)

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