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 2002年の話をつづけます。
 この年の秋、村上春樹さんの『海辺のカフカ』が刊行されて、
 その記念としてオンライン書店ビーケーワンでは
 書評コンテストを実施しました。
 今回紹介した書評は、その時私が応募したもの。
 選考の結果、「優秀賞」に選ばれています。

 その時の選考会の様子が残っています。

 (大西絢子さん・新潮社) 物語に出てくるキーワードを一つ一つ
              読み解こうとする人が多いなかで、「夏の雨」さんは
              『海辺のカフカ』全体を”ねじりパン”に喩えていて、
              暖かみを感じました。
 (斎藤bk1書店店長)   ねじりパンというのはイメージ沸きましたね。

 自分でもこの「ねじりパン」というのはうまい切り口だと、
 ほくそえんでいるのですが、
 村上春樹さんの長編小説は最近の『1Q84』でもそうですが、
 いくつかの物語がからまりあいながらできあがっている
 イメージがありますよね。
 砂糖のまぶしかたが作品によってちがうのでしょうが。

 この2002年は日韓共催のワールドカップがあった年。
 石垣りんさんの『略歴』という本の書評で
 「ワールドカップも終わったことだし、詩でも読もうか」なんていう
 タイトルをつけています。
 この2002年にbk1書店に投稿した書評は116件でした。

海辺のカフカ〈上〉海辺のカフカ〈上〉
(2002/09/12)
村上 春樹

商品詳細を見る

sai.wingpen  おいしいねじりパンの作り方                     矢印 bk1書評ページへ

 村上春樹の新作「海辺のカフカ」を、ゆっくりと時間をかけて読んだ。パン生地がふっくらと焼きあがっていく時の暖かな匂いが身体の隅々に染み込んでいくような、読書の時間を過ごした。そして、たぶん、僕は少し無口になった。

 章立てされた物語のストーリーを語ることに意味はない。奇数章は記憶を求める<田村カフカ>という十五歳の少年の、偶数章は記憶を失った<ナカタさん>という初老の男の物語である。具象と抽象。現実と夢。癒しと暴力。ふたつの物語は、それぞれにねじれて絡み合う。そして、ひとつの長い物語になっていく。ちょうどねじりパンみたいに。

 できあがったねじりパンには、ふたつの材料が使われている。ひとつは哲学の方法である。ここでいう哲学とは、生きていくための技術みたいなものだ。長い物語の中で交わされる登場人物たちの多くの会話は、ソクラテスの対話法の実践ともいえる。鷲田小弥太の「はじめての哲学史講義」(PHP新書)によると「ソクラテスの対話法は、説得術であるとともに、真の認識へと人々を誘う教育術でもある」という。特に奇数章で語られる多くの会話が、十五歳の少年が未来に向けて生き続けるための教育術であるといえる。物語を読み終えた時、僕たちは生きることの意味を、少し考えている。

 もうひとつの材料は、村上春樹流の比喩の使い方である。直喩と隠喩。多くの比喩が対話法の哲学の狭まで、パン生地を膨らませるためのイースト菌の役目を担っている。これがあればこそ、物語は豊かで柔らかに完結しているといえる。困難な主題が多くの人たちに読まれるのは、この材料の力が大きい。

 村上春樹はこの長い物語の最後にこう書いた。「本当の答えというのはことばにできないものだから」(下巻・413頁)もう十五歳の少年ではない僕にとってできあがったねじりパンは少しつらい味だった。ことばにされない答えを見つけるのに、僕はやや年をとりすぎたかもしれない。
  
(2002/09/29 投稿)

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