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01/22/2009    書評:昭和シネマ館
プレゼント 書評こぼれ話

  最近の映画館は驚くくらいきれいです。
  それにくらべれば、私が映画にはまっていた30年以上前の
  映画館は汚かったですね。
  便所くさくって、椅子が固くって、
  背の大きな人が前に座ると、スクリーンが見えなくて。
  それでも、あの空間が大好きでした。
  もちろん、その当時でも大きな都会のロードショウ館は
  そんなことがなかったでしょうが、
  学生の身分ではなかなかそういう場所には行けなかったですからね。
  この本の中に、当時映画館にはいるのに、
  「好きなときに入って、好きなときに出てくる」というような表現がありますが、
  確かにそんな時代でした。
  そうでないと席がとれない事情もありましたし、
  情報が豊かでなかったですから、上演時間の概念も
  あまりなかったように思います。
  「ぴあ」が創刊されてから、そういうことも少なくなったかもしれません。
  
昭和シネマ館―黄金期スクリーンの光芒昭和シネマ館―黄金期スクリーンの光芒
(2008/12)
紀田 順一郎

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sai.wingpen  瀬戸際の映画評論                     矢印 bk1書評ページへ

 はじめにことわっておくと、本書は情緒的な書名や著者である紀田順一郎氏所蔵の懐かしい映画パンフレット・チラシが満載であることで、ノスタルティックな映画エッセイ本だと思われるかもしれないが、実は極めて正当な作品論であり、監督論であり、俳優論である。
 あるいは、映画というメディアを通してみた時の、社会風俗論といってもいいかもしれない。
 書名に「昭和」とあるが、厳密にいえば、戦後の復興期であった昭和26年から、昭和30年代に限られている。「黄金期スクリーンの光芒」という副題にあるように、映画黄金期の時代である。
 映画観客動員数をみた場合、昭和33年(1958年)にそれはピークを迎え、その後はTVや他の娯楽の台頭で急速にそれは減少していく。その衰退度がいかに顕著であったかは、ピークとなったわずか5年後の昭和38年(1963年)には半減してしまうという事実をみれば明らかだ。
 本書では最初の章の「昭和26年 小津安二郎の早すぎる離陸」から八章めの「昭和31年 疾走する裕次郎、戦うグレン・フォード」までは編年体で構成されたごとく、年次が章立てになっているのだが、最終章だけは一挙に「昭和38年 変容するスリラーの巨匠」になるのは、映画産業の衰退とスリラー映画の巨匠ヒッチコックの変容を重ね合わせた著者の、意図した工夫のように思える。

 では、著者は「昭和」の映画黄金期をどのように見ていたかといえば、「大多数の人々の意識が、現在では考えられないほど一致し、共通し、一本の映画が前提抜きの話題となり得た時代」(103頁)ということになる。  人々が「風と共に去りぬ」に涙し、「シェーン」の強さに酔い、誰もが「ローマの休日」のヘップバーンに憧れた時代である。
 それは、著者の文章でいうなら、「一致し、共通し」得た、幸福な時代である。
 そして、著者がいうように「いわば立錐の余地もない小屋の、観客が呼吸していた濃密な空気を共有する」(104頁)映画館という装置が重要な役目を担っていた時代でもある。

 「昭和」も遠くなった。
 やがて、本書に書かれた評論もセピア色の思い出エッセイになってしまうのかもしれない。
 いいかえれば、本書は瀬戸際の映画評論である。
  
(2009/01/22 投稿)
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