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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する『清冽』は
  詩人の茨木のり子さんの生涯をたどった
  ノンフィクション作品です。
  副題に「詩人茨木のり子の肖像」とあるように
  作者の後藤正治さんは
  丁寧に彼女の生涯をたどっています。
  茨木のり子という詩人を
  知りたいと思っている人には
  いい本だと思います。
  この本の表紙の
  茨木のり子さんの表情が
  とてもいいです。
  ごらんのとおり
  茨木のり子さんは
  とても奇麗な女性です。
  ちょうど宝塚の男役みたいな
  感じがします。
  書名の『清冽』は
  辞書でひくと
  「流れる水がきれいで、冷たい様子」と
  あります。
  茨木のり子さんは
  まさにそんな人だったのでしょう。

  じゃあ、読もう。

清冽―詩人茨木のり子の肖像清冽―詩人茨木のり子の肖像
(2010/11)
後藤 正治

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sai.wingpen  詩があるかぎり                     矢印 bk1書評ページへ

 人はどのようであれ、その全体など捉えられないものだ。どんなにその人の事跡をたどっても、その人の持つ奥底にまで行きつくことはないだろう。もしかしたら、当の本人さえもそのことを自覚できないのではないだろうか。
 では、詩人の場合はどうだろう。彼らの言霊は自らを語り、自身の奥底から発する地鳴りの音だ。語るべきは自分自身でしかない。だとすれば、詩人は書かれた詩こそすべてかもしれない。
 詩人茨木のり子の生涯に迫ったノンフィクション作家後藤正治氏の渾身の作品を読み終えて、作品の強さを感じながらもそう思った。茨木のり子はやはり彼女の詩が一番彼女自身を語っている。

 本書のなかで後藤氏は言葉を尽くして、何度も茨木のり子の全体に迫ろうとしている。例えば「終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁さである」と。例えば「自身に忠実に生きんとする姿勢の意思力である」と。
 そんな後藤氏の修飾を、茨木のり子は「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」(「倚りかからず」)」と一蹴し、「ひとりの男を通して/たくさんの異性に逢いました」(「一人のひと」)とかわす。
 逃げる陽炎を追いかけるように、どこまでいっても詩人においつけない。

 書名のとおり、詩人茨木のり子は、「清らかに澄んだ水」のような人であったのだろう。後藤氏はその流れにそっと手をさしいれて、すくおうとした。けれど、「清冽」な詩人はとどまることはない。
 だから、たぶん、おそらく何度でも私たちはその淵に戻ってくるだろう。
 茨木のり子とは何者であったのかと。茨木のり子の詩に揺さぶられるたびに。

 「その人のことを思いつづける人がいる限りその人は生きつづける」とよく云われる。
 茨木のり子が書いた父の姿や母の振る舞い、夫のなにげない言葉、そして自らの人生は、詩として残された。
 詩人はそのようにして、私たちのなかで生きつづける。何度でも立ち上がる言葉として、何度でもその人生を生きつづける。茨木のり子はそのような詩人である。
  
(2010/12/29 投稿)

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