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  今日紹介した『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』は
  昨年亡くなった歌人河野裕子さんの
  最後の日々を家族で見つめたエッセー集です。
  つい、同じように昨年の春逝った
  私の母のことを思い出しました。
  病院のベットで小さくなった母は
  まるで幼女のように見えたものです。
  人は本当に赤ちゃんにもどるようにして
  逝ってしまうのだと思いました。
  最後の時、
  私も父も兄も、私の家族たちも
  みんな母の名前を呼びました。
  私の娘たちは「おばあちゃん、おばあちゃん」と
  向こうに逝こうとする母を
  必至でとめようとしました。
  でも、母は逝きました。
  それは母の寿命だったのでしょう。
  同じように河野裕子さんの家族たちも
  その周りに集まります。
  家族
  そのことの意味を深く考えさせられます。

  じゃあ、読もう。

家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日
(2011/02/03)
河野裕子 永田和宏 その家族

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sai.wingpen  追悼・河野裕子 - 妻として母として                     矢印 bk1書評ページへ

 「たとえば君ガサット落葉すくふやうに私をさらつて行つてくれぬか」といった代表作で有名な歌人河野裕子さんが亡くなったのは、昨年(2010年)の8月でした。
 その一年前、癌が再発し化学療法をしながら河野さんはこの本の初出となる新聞連載を始めます。しかも単に河野さんの文章ではなく、河野さんの家族(夫で歌人の永田和宏さん、長男の永田淳さん、その奥さんの植田裕子さん、長女の永田紅さん)によるリレー連載という形です。
 そのことは妻であり母である河野さんの最後の日々をみつめる家族の切なくつらい記録となりました。と同時に家族で過ごした懐かしい日々の追憶でもあります。死を迎えつつある河野さんを中心にして家族はそっと肩を寄せ合います。

 河野さんの家族は短歌一家です。長男の淳さんの奥さんである植田裕子さんも義母である河野さんの薫陶を受け歌を詠みます。
 そんな家族が「短歌では言い足りないことを足し算のように」してエッセーをつづっていきます。たとえば連載の最初に河野さんは「いつまでも私はあなたのお母さんごはんを炊いてふとんを干して」という自身の短歌を詠み、そのあとのエッセーで「歌でなら本音が言える」とつづります。
 家族のコミュニケーションとして短歌が機能しています。おそらく河野さんは夫や子どもたちの歌から多くのことを知り、妻として母として支えていたことでしょう。
 それもまた家族のひとつの形です。

 連載からまもなく1年になろうとする8月11日、河野さんの容態は悪化します。その時夫である永田和宏さんはこんな歌を詠みます。
 「おはやうとわれらめざめてもう二度と目を開くなき君を囲めり」
 そして、河野さんの最後の姿をつづります。妻の旅立ちに感情をおさえた文章がよけいに悲しみを誘います。それは妻の最後の姿ではなく、歌人河野裕子の最後を記しておくということでもあります。

 河野裕子さんの絶筆となる歌の中のひとつ。
 「あんたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」
 河野裕子さんは最後に妻に、母に戻っていきます。
 家族とはなんであるかを考えさせられる一冊です。
  
(2011/04/05 投稿)

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