04/07/2011 千の風になって(新井 満):書評「冬はダイヤのように」

昨日いせひでこさんの『1000の風 1000のチェロ』を
紹介しましたが、
1000の風といえばやはり
『千の風になって』でしょ、と
今日は新井満さんの詩集『千の風になって』を
蔵出し書評で紹介します。
書いたのは2003年ですから、
あの大ヒットとなった歌がまだ出る前です。
しかも、今回は父親を亡くした甥にあてた
手紙形式となっています。
今回の東日本大震災で
親だけでなくお子さん、友人、知人を
亡くされた方がたくさんいます。
その悲しみを超えていかなければ
いけません。
哀悼の意をこめて
今日の書評をおくります。
じゃあ、読もう。
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D君は十三歳、中学一年の少年だ。2002年の夏、ちょうど夏休みにはいったその日に父親を亡くした。
亡くなった父親は、私とは義兄(私の妻の姉のご主人なのだが、私よりも年下の四十二歳だった。私も彼もそんな微妙な年の関係にいささか戸惑ってもいた)の関係になるから、D君は甥にあたる。
身長こそすでに私より大きいが、まだ十三歳の少年なのだ。父親の不在をどこまで実感できただろう。葬儀の日以来、私はD君と話したことはない。妻から義姉を通じて彼が元気だということを聞くばかりだ。それでいいと、私は思っている。
D君が元気であれば、それでいい。
本屋さんの店頭でなにげなく見つけた、一冊の本。
芥川賞作家の新井満が訳をつけた、わずか十数行の短い詩があるだけの小さな詩集。書名は「千の風になって」。
新井氏は「あとがき」に代えた十の断章という文章で、氏自身がどのようにしてこの詩と出会い、その詩が書かれただろう背景を模索している。その中で八月の下旬にこの詩が朝日新聞の「天声人語」で紹介されたことも書いている。その記事があったからこそ、このように本になったかもしれないが、偶然この本に出会った私にとっては記事を知らなかったことで、より新鮮な感動をもつことができたともいえる。
素直にいえる。いい詩にめぐりあえた。
《私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません/千の風になって 千の風になって/あの大きな空を ふきわたっています》
わずか十数行の詩だから、ここに全文を紹介することもできるが、この詩の感動はD君がこの詩集に出会う時まで大切にしまっておくことにする。
D君にとって父親の死は理不尽な突風みたいなものだったにちがいない。父親の不在はD君の中でゆっくりと確認されていく作業になるのだろう。
夏が終わり、秋が過ぎ、冬になった。D君の住む山間の町にも雪が降ったという。その雪にも、亡くなった父親の暖かな心が託されているのを、D君は気づくだろうか。
《冬はダイヤのように きらめく雪になる》
今年もたくさんの喪中のはがきが届いた。その中にはD君の母親からのものもあった。
父を亡くし、母を亡くし、妻を亡くした多くの人がいる。D君と同じ悲しみと出合ったたくさんの人がいる。この詩がそんな悲しみの人たちに読んでもらえたらと思う。この詩が悲しみの心を慰安し、少しは力を与えてくれるにちがいない。亡くしたものの不在の意味を教えてくれるにちがいない。
D君。あなたのお父さんは、この詩に書かれているように、君のそばでいつも君のことを見守ってくれているだろう。冬。今は静かに降りつむ雪になって。
(2003/12/23 投稿)

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