04/11/2011 この国のかたち〈2〉(司馬 遼太郎):書評「悪意のない人たち」

東日本大震災から
今日で一ヶ月になります。
一ヶ月前にはあんなに賑わっていた町も
笑っていた人も
一瞬にしていなくなってしまいました。
おそらく被災された人たちは
まだ信じられないでしょうし、
夢であって欲しいと思っているでしょう。
生きていくことの
なんと残酷なことでしょう。
これから被災された人たちが
どのように生きていかれるか
そのためにも
私たちがどのように応援できるかを
あれから一ヶ月経った今日、
この国の人たち全員で
考えていかなければならないでしょう。
この国の未来を信じて。
みんなで輝ける国の再生を。
じゃあ、読もう。
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東日本大震災、それに続く原発被災と、この国は今大きな危機にあります。
しかし、それはそもそもこの国はどんな国なのか、私たちはどのような民族なのかをもう一度見つめ直す機会でもあります。戦後60余年、今こそ私たち各人がそのことを考えてみる好機ではないでしょうか。
ただ補助線が必要です。私はそれを司馬遼太郎さんの『この国のかたち』に求め、考えていきたいと思っています。
この『この国のかたち』の二で司馬さんは日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザヴィエルの書簡を紹介しています(「44. ザヴィエル城の息子」)。
その中でザヴィエルは日本人のことを「親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません」と記しています。また「知識欲はきわめて旺盛」とも書いていたそうです。
それを受けて司馬さんはこんなことを書いています。「ザヴィエルは、日本史の青春期のころにきたといっていい」と。
それから何世紀も経て、日本人は変わったのでしょうか。青春期はとうに過ぎているはずですが、やはり「善良」であることには変わらないような気がします。
多分に苛苛感はあるでしょうが、どちらかといえばあまり変わっていない。今回の危機にあっても被災者たちの姿に私たちは多くのことを教えられます。
拳をつきあげる人は少ない。罵声を吐く人も少ない。「悪意がありません」。
私たちはそういう誇りをもってあり続けたのです。そして、おそらくこれからもそうあり続けるような気がします。
(2011/04/11 投稿)

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