プレゼント 書評こぼれ話

  絵本は図書館で探すことが多く
  この季節で
  つい手がのびてしまうが
  いわむらかずおさんの
  「14ひき」シリーズ
  『14ひきのぴくにっく』。
  俳句の季語でいえば
  「野遊」でしょうか。

      野遊びのひとりひとりに母のこゑ       橋本 榮治

  この句のような光景が
  この絵本にはあります。
  この絵本、そういえば
  もう読んでいたことを思い出して
  今日は再録書評での紹介です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  いのちの春                   

 私が子供の頃、それはもうかれこれ半世紀も前にもなりますが、苗代の始まる前の田んぼには蓮華の花がたくさん咲いていました。
 蓮華の花の蜜が甘いと吸って試したものです。蓮華の花の首飾りも作ったりしました。あれは、誰と遊んだのでしょう。
 土筆(つくし)もたくさんありました。土筆をとっては甘く煮て、食べてものです。
 たんぽぽの黄色も印象に残っています。その当時のたんぽぽはうんと地面に這うように咲いていたように思います。あれは種が違うのでしょうか。
 そんな草花がどこにでも咲いていました。春とは植物の息吹を感じる季節だったのです。
 残念ながら、今はそんなことを感じることがなくなりました。でも、本当は今でも春は生き生きとした命を育んでいるのではないかしら。もしかすると、大人になった私が春の近づきを見つけられなくなっているのかもしれません。

 いわむらかずおさんのお馴染みの「14ひき」のシリーズで、春を見つけに行きました。
 今回の14ひきのねずみたちは、「みんなで、はるの のはらへ でかけよう」と、楽しくピクニックです。
 もちろんそこはいわむらさんの絵本ですから、ピクニック前の準備の時間の楽しそうなこと、森に咲くすみれに、やまぶき、ちごゆり、ふでりんどう、きっとどこかで見たはずなのに、いわむらさんの筆に初めてお目にかかるような草花たち。森を抜ければ、そこには広い野原がひろがっています。
 ひかり、風、いのち、空、雲、空気。
 ちょうちょのりぼんにびっくりしているのは誰でしょう。

 14ひきが池のなかに見つけた蛙のたまご。そういえば、子供の頃には生き物だってたくさんそこに命を育んでいました。
 蛙のぬるっとしたたまごから、おたまじゃくしがわぁーと生まれてくるのを、現代の子供たちは知っているのかな。水すましが温んだ水の上をスイスイと滑っているのを見たことがあるのかなあ。
 14ひきのねずみたちの絵本の世界で初めて知るのかもしれません。

 全体に淡いみどりの色で描かれたこの絵本のテーマは、春。命の歓声。わきあがる力。
 この絵本を読み終わったら、14ひきのねずみたちと本当の野原に出かけたくなります。
  
(2012/04/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日のつづき。
  昨日、葉室麟さんの
  『雨と詩人と落花と』という小説を
  紹介しましたが、
  その主人公広瀬旭荘が塾長を務めた
  大分・日田の咸宜園の創設者広瀬淡窓を描いた作品があることを
  思い出しました。
  それが『霖雨』。
  そこで今日は
  2012年6月に読んだ本の
  再録書評です。
  正直、6年前の作品となると
  覚えていませんが
  ちょっとしたきっかけで
  その本のことを
  思い出しました。
  それもまた
  うれしい限りです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  止まぬ雨はない                   

 司馬遼太郎は『街道をゆく 豊後・日田街道』で、この物語の舞台となった日田を訪ねている。そして、「かつて漢学書生が町中を闊歩していた町」の理髪店で顔をあたるなど木漏れ日のような日田小景を描きとめた。
 この物語はそんな日田を全国的に有名にした咸宜園の創設者広瀬淡窓を主人公にした歴史小説である。
 また司馬遼太郎に戻ると、淡窓のことを司馬はこう書いている。「日田の富商の家にうまれ、年少のころ福岡で学んだだけで、そのあとは多病のために江戸などに留学せず、日田に帰って私塾をひらいた。(中略)その間、入門簿によれば三千八十一人という多数の青年がこの塾で学んだ」(『街道をゆく 豊後・日田街道』より)
司馬のこの文章にはこの物語を構成するいくつかの鍵がおさめられている。

 ひとつは、淡窓が「富商の家」に生まれたということ。よって、この物語では淡窓の学問に対する思いを軸にしながら、その富商の後を淡窓に代わって継いだ弟久兵衛の現実的な活動もまた映える構造になっている。
 次に、咸宜園に全国から多数の青年が学びのために日田を訪ねたということ。物語の発端はこのことを背景にして、一組の男女が淡窓のもとを訪れ、入塾を乞うところから始まっていく。

 淡窓の時代、それは江戸後期だが、全国の私塾が活気を帯びていた。
 その中でもこれだけの入塾者を受け入れたのだから、淡窓の名が全国に広まっていたと思われる。同じ頃、大阪で洗心洞という私塾を開いていたのが大塩中斎。のちに大塩平八郎の乱で時の政府を震撼とさせた人物である。
 静と動。剛と柔。淡窓は強面の郡代の圧政に堪え、静かに雨のやむのを待つ。その一方で、大塩は雨の中をはねあげながら走り出す。
 どちらか正しいということではないかもしれないが、日本人の好みとしては淡窓に軍配があがるような気がする。

 ちなみに題名の「霖雨」とは、何日も降り続く雨のことだが、淡窓は父からこんなことを聴かされる。
 「ひとが生きていくには、長く降り続く雨の中を歩き続けるのに似ている。しかしな、案じることはない。止まぬ雨はない」と。
 これは、東日本大震災を経験した日本人への、葉室麟からの強いメッセージであろう。
  
(2012/06/19 投稿)

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  本屋さんに行って
  葉室麟さんの名前を見つけると
  やはり今でも心がじんとなります。
  今の時点で
  今日紹介する
  『雨と詩人と落花と』が
  葉室麟さんの一番新しい文芸新刊に
  なっています。
  それにしても
  なんと美しいタイトルでしょうか。
  これは
  この物語の主人公広瀬旭荘
  「春雨到筆庵」という漢詩の一節。
  葉室麟さんもまた
  詩人であったのだ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  なんと胸打つタイトルだろう                   

 江戸時代後期、おそらく都市の有り様は現代とは大きく違っていただろうし、それらの街々を結ぶ情報網も現代の感覚で見ることはできないはずであろうに、各地に私塾が出来、その塾長ともなればその知見、人格が広く世間に広まったのであるから、当時の人々の知識欲とうのは生半可なものではない。
 そんな時代、豊後の国(今でいう大分県)日田に咸宜園という私塾があった。創設したのは広瀬淡窓。しかし、淡窓が病弱であったため、そのあとを託されるのが弟の旭荘である。
 2017年12月、その早すぎる死が惜しまれてならない葉室麟が2016年秋から2017年春にわたって雑誌連載したこの物語の主人公が、この広瀬旭荘だ。

 旭荘には激情があったとされる。
 些細な事でかっとなり、時には人をうつこともあったという。それで先の妻に去られ、二度目の妻を迎えるところから物語が始まる。
 時は天保三年(1832年)、黒船が来航するのが1853年だから、時代は大きな波をうけようとしている。
 そんな中、旭荘に嫁いだ松子はしばしば夫の暴力を受けながらも、夫の詩人としての資質を信じ、けなげにも夫とともに日田を離れ、大阪あるいは江戸へと付き従っていく。

 なかなか世に認められない夫としかしその才能を信じた妻との切ない夫婦の物語といってしまえばそれまでだが、葉室はその生涯ずっと描き続けてきたように耐え忍ぶ生き様を、旭荘もその妻松子も共に歩んできたということだろう。
 「ひとは才において尊いのではない、ひとを慈しむ心において尊いのだ」、葉室の声は静かだが貴い。
  
(2018/04/13 投稿)

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  先日、本橋信宏さんの
  『東京最後の異界 鶯谷』を読んでいて
  その中で
  江戸川乱歩の『陰獣』の
  おどろおどろしい世界が紹介されていました。
  その作品に登場する男女が密会するのが
  鶯谷あたり。
  そこから気になって
  そしてとうとう読むことが出来たのが
  今日紹介する
  桜庭一樹さん選の
  『江戸川乱歩傑作選 獣』です。
  この文庫に収められている作品は
  今日の書評に書きましたが
  おそらく江戸川乱歩を読みたい人には
  まずもって
  この文庫がおすすめです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  江戸川乱歩を読むなら、この文庫から                   

 子供の頃にもしかしたら「少年探偵団」シリーズを読んだかもしれないが、江戸川乱歩の主だった作品が未読なことにずっと引っかかっていた。
 今ではどの文庫でも読めるし、「青空文庫」でも読めるようになっている。
 それでもなかなか読むきっかけがつかめなかったのだが、文春文庫から出ている「傑作選」の、特に直木賞作家桜庭一樹さん選の、この「獣」のラインナップを見て、これだけ読めば江戸川乱歩の初級読書体験はできるはず。
 こうして、江戸川乱歩の世界に入り込んだのだ。

 この文庫に収められた作品は、乱歩のデビュー作「二銭銅貨」、「一枚の切符」、あの明智小五郎探偵が初登場する「D坂の殺人事件」、これはずっと読みたかった「屋根裏の散歩者」(なんといってもこのタイトルがいい)、「一人二役」、「パノラマ島綺譚」、「陰獣」(これもタイトルがいい)、そして随筆が2編という豪華さである。
 初めて読んで一番驚いたのは「パノラマ島綺譚」。この文庫では一番長い作品でもある。
 何が驚いたかというと、亡くなったうり二つの知り合いになりすますために墓場を掘り起こす場面のおどろおどろしさをいったら、ない。
 現代でいえばそういうホラー映画もたくさんあるが、この作品が発表されたのが大正15年というから乱歩の先見性に脱帽するしかない。
 そして、その狂気の男が作り出したパノラマ島もちっとも古臭くない。むしろ、時代を先取りしていた感さえある。

 そして、「陰獣」。いうまでもなくエンターテイメントの傑作だろう。
  
(2018/04/12 投稿)

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  講談社の文芸誌を読んでいて
  池田晶子さんの新しい本が
  2017年5月に出ていたことを
  知りました。
  それが今日の本、
  『絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉』です。
  久しぶりに池田晶子さんの言葉にふれて
  頭がすっきりしました。
  でも、池田晶子さんが亡くなって
  もう10年になるなんて
  もし、生きていても
  まだ私よりも若い池田晶子さんなら
  どれだけの言葉を
  のこしていたでしょう。
  本の最後に掲載されていた
  池田晶子さんの写真を見ながら
  残念で仕方がありません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  哲学に励まされることもある                   

 時々難しい本が読みたくなる。
 人はどのように生きるべきかだとか、社会の正義とは何だろうかとか、きっと読んでもあまりよくわからないだろうが、そういう種類の本である。
 ジャンルでいえば、「哲学」あたりだろうか。
 それでもソクラテスとかプラトンや西田幾多郎といった哲学者の本は手強すぎて、やはり池田晶子さんあたりがちょうどいい。
 それは池田晶子さんの「哲学」が軽すぎるというのではなく、わかりにくいことをできるだけ平易に(それでも難しいだが)表現しようとしたのが池田晶子さんだということだ。

 それにしても、池田晶子さんはあまりにも早く逝ってしまった。
 池田さんが亡くなったのが2007年2月、まだ40代の若さだ。
 それでいて、池田晶子さんはたくさんの言葉を「哲学エッセイ」の形で遺された。そして、没後10年経っても、まだこうして新しい本が出版されて(この本の刊行は2017年5月)いるのだから、池田さんの言葉を生きる指針にしている人が多いという証だろう。

 この本は池田さんの著作の中から今を生きる人のためにえりすぐった言葉をまとめたものだが、どこから読みだしても構わない。
 難しければ読みとばしてもいいだろうし、気になった言葉は何度も読んでもいい。
 読み方は自由だ。ただし、自分の頭で考えながら読めたら、きっといい。
 私は、「先が見えないのは当たり前」というタイトルの文章が気に入った。人生は先が見えないのが当たり前で、それでも萎えずに生き抜くことに「人生の価値」があると、池田さんは教える。
 そういう励ましが、時に欲しくなる。
  
(2018/04/11 投稿)

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